多摩都市モノレール 奥本光起さん

地域で活躍する卒業生へインタビュー

多摩都市モノレール 奥本光起さん

2018/12/12 公開

明星大学
モノレール車両基地にて

 2018年3月多摩都市モノレールで新たな運転士がデビューした。明星大学卒業生の奥本光起さんだ。高校時代、学校の先生になりたいと思い教育学部に進学した奥本さん。そんな彼がなぜモノレールの運転士として第一歩を踏み出すことになったのか。学生時代の想いや社会人になってからの経験など、現在に至るまでのお話を聞いた。

視野を広げて考える

インタビューの様子

 大学2年生の時に「教育インターンシップ」で1年間、小学校で子どもたちとふれあう機会があった。子どもが好きで教員を目指したが、時には子どもに対して厳しく接する必要があると感じた。しかし、どうしても子どもに厳しく接する事が出来なかった。割り切って気持ちの切り替えが出来なかったのだ。このままでは、良いお兄さん止まり。子どもたちの成長を考えると、自分は教員には向いていないのではないかと考え始めた。そんな時に、大学の先輩からの紹介である鉄道会社駅員のアルバイトを始めることになった。駅では、子どもから大人まで色々な人と接する。「毎日違う人と接することを楽しいと感じ始めました」と奥本さん。
 その想いが強くなると、通学中でも気がつくことがあった。多摩都市モノレールを利用したときのことだ。多摩都市モノレールでは、運転士が一人で車掌業務も行っているため、ドアの操作や車内アナウンスなども行う。必然的に乗客と接する機会も増える。駅で手を振りながら降りる子どもたち、お年寄りからありがとうと言われている姿などを見ているうちに、自分と子どもの関わり方も、教員だけではなく他の方法もあると気がついた。
 多摩都市モノレールに就職したのは偶然だった。元々は、駅員アルバイトの上司から紹介された企業に就職を考えていたが、大学4年生の夏、その企業の業績が悪化し、受け入れが難しいと連絡を受けた。その直後、以前から気になっていた多摩都市モノレールが募集をしていないかと調べたところ、たまたま募集があり応募したのだ。
 鉄道会社に就職する事に対して、鉄道専門学校・高校などからしか入れないのではないかと勘違いしている学生が多いのではないだろうか。その思い込みは無くして欲しいと奥本さんは言う。鉄道の専門知識や技能は入社後に学べるし、先輩も教えてくれる。自分の努力で何とかなる。当然適性検査などはあるが、基本的には「運転士になりたい」や「あの鉄道会社、接客が良いから一緒に働いてみたい」など自分の気持ちが大切なのだ。

駅員時代から運転士になるまで

インタビューの様子

 入社後は、駅員として多摩センター駅に配属された。配属先の業務はもちろん、その他の駅の巡回などを行う。多摩センター駅以外の駅からのインターホンにも対応する。経験を積むと一人で行う業務が多くなる。後輩からの報告を受けて、内容に不備がないかのチェックを行うなど、責任者の右腕として働く。早番では駅に泊まり4時頃起床して、機器の立ち上げなどを行う。
 入社して約1年後、運転士候補生になるための試験を受ける。それに合格すれば、他の鉄道会社の協力のもと研修を受ける資格が得られる。毎年数名が派遣されて動力車操縦者運転免許(電車を運転する国家資格)を取りにいく。奥本さんは2017年の4月から2018年の2月までの10ヶ月間に及ぶ研修後に、ようやく免許を取得して戻った。
 研修の最初の4ヶ月は養成所で机上教育。運転の法規や電車の構造などを学ぶ。中間試験、修了試験を全教科で合格点を取らないと次に進めないシステム。それが終わると、実際の現場に配属される。現場での研修は一人の師匠(指導運転士)について学ぶ。
研修は実際に乗客が乗っている電車で始まる。約3日は師匠の横に立って、線路の状況や、信号の位置などを確認していく。4日目以降3~4ヶ月間は、師匠の教えを乞いながら、自分でハンドル操作をして経験を積む。
 最初は憧れが強かった。かっこいい運転士像があっただけだ。しかし、実際に運転を始めた時の感情は「恐怖」だった。スピードは60km以上出る。止まり方などは感覚で覚えていくしかない。運転士になるということは、乗客の安全を守るのは自分だということ。ブレーキの加減を間違え、止まる衝撃が強くなれば、それが乗客にも伝わる。場合によっては怪我をさせてしまう危険性をはらんでいる事を目の当たりにして自分の仕事の重大さをようやく自覚した。
ただ、人の安全を守るという仕事はリスクがある反面、それをしっかり守りきれば、達成感のある仕事だ。師匠の話を頭が真っ白にならないように、ゆっくり聞いて、どういったハンドル操作を行えば良いか理解をしていくと、恐怖心は徐々に少なくなっていった。
 運転士の世界では指導担当になった運転士と「師弟関係」を結ぶとのこと。当然運転室での指導中は厳しい。奥本さんも何度か運転室で涙を流したという。反面、仕事のとき以外では、くだらない話も出来る仲だ。その背景には、話の中に何度も出てくる「お客様の安全が第一」という言葉につながると感じた。弟子がその安全を脅かした時には、指導した人間にも責任があると考えると、指導にも一切妥協は許されない。だからこそ、その信頼関係は強い。自社に戻った今でも、「今月も師匠と飲みに行きます」と言う彼の笑顔がそれを象徴している。

今に活きる明星大学での学び

インタビューの様子

 明星大学は風通しが良い。学生間でなく、教員や学生サポートセンターなど、身近に相談しやすい雰囲気があるところが良いところ。疑問に思った事をそのままにせず、誰かと協力して解決していくという方法は大学時代に身につけた。
 授業での経験も今の仕事に活きている。模擬授業の際には、先生役、生徒役とそれぞれ、相手の気持ちを考えて次にどんなことを行えば良いかを学んだ。それは今、接客をする上で非常に役に立っている。
 疑問があれば誰かに相談して自分の力に変えていく。それを駅員時代から行っている。まず、自分で調べて分からなければ、どのように対処すべきか周りに相談する。対処方法を教えてもらったら、同じ事が起こらないように、自分の中でしっかり復習をして、次につなげていく事が出来るようになった。

今後の抱負

モノレール車両基地にて

 まだまだ、知識も経験も未熟だと感じている奥本さんは、毎日が勉強だと言う。「日々の予習復習を行い、自分の苦手意識を無くし、常にお客様に安心して笑顔で乗っていただける運転士を目指しています」と笑顔で話してくれた。


 奥本さんの話の中で印象に残った言葉は『分岐点を探せば、また違う道が開けてくる』だ。人は、時に自分の進んでいる道が正しいか不安になるときがある。きっとすべてが正しい事や、すべてが間違っている事はないはずだ。冷静にその分岐点に気がつき、違う道を模索することも時には大切かもしれない。